風シリーズ
□ばいばい、風さん
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『え…』
愛する彼女が目の前で広がった光景に小さく驚きの声を漏らした。お願いです。それ以上何も言わないで下さい。この状況、自分でも言い訳出来ないのはよく解っています。言われても仕方ない、私が悪いんです。ですが出来たら言わないで欲しい。
『これは一体何事…?』
「いえ…これは…」
彼女の問いに言葉が詰まる。私の中では予定外の出来事、こんなハズじゃなかった。さぁどうやってこの状況の言い訳をしましょうか。
『すっっげぇ部屋きたねぇ…』
「…すみません」
あぁ泣きたい…最近仕事が忙しく疲れているせいで掃除を怠っていました(言わずもがなマフィア絡みの裏の仕事です)私の部屋に行きたいと言われ連れて来たのは良いですがもう返す言葉もございません。ですが彼女には一つ言っておかなければならない事がある。私の名誉の為にも絶対言っておかなければ。部屋が汚い事に対しての言い訳と思われるかもしれませんが言っておかなければ!!
「あのですね、普段はこんなに散らかったままではありませんよ?最近何かと忙しくて…決して片付けられない男だとか家事が一切出来ないとかましてや女性を連れ込んでいるとかではないので…」
『その言い訳が怪しいよね。浮気してる男の典型的な言い訳』
「…それはつまり私が浮気をしているとでも言いたいんですか?」
『だってぇ〜…』
私が浮気ですか…有り得ませんね。私は同時に何人もの女性を愛せる程器用ではありませんし、何より貴女がいるのに他の女性を見るなんてそんな不謹慎な事はしません。彼女の膨らませた頬をつつきながら次の言葉を催促する。
「だって…なんです?」
『前に付き合ってた男はそう言って浮気してた』
「…………」
あー…ははは。何だか物凄い怒りが込み上げて来たんですが。 前 に 付 き 合 っ て た 男 、ですか。私を他の男と比べるとはなかなかいい度胸をしている。
「私をそんな男と同等に扱わないで頂きたいですね」
『だって最近忙しい忙しいって言って会ってくれなかったじゃん』
怒りを込めてそう言えば彼女もまた怒りを込めて言い返して来た。…怒りっぽい所も好きな所の一つですがまさか疑われるとは。
「だから仕事だと言っているでしょう?」
『解ってるよ。解ってるけどさぁ…』
解っているけど、次は何ですか?女性と言う生き物は一度疑念を抱くと何処までもしつこい、私はそう思う。彼女もまたそういう女性の一人なのか、と思ったら途端に面倒臭く感じた。
『風さんが忙しいのは解ってるけど…』
「刹那さん…すみません。連日の仕事で疲れているのでもうやめて頂けますか」
『…、でも…でもね、』
「解っているならそれ以上なにも言わないで下さいッ」
苛々としてつい声を荒げて言うと彼女の肩がびくり、と跳ねた。
「しつこいですよ」
『…ごめん…なさい、』
「謝るくらいならば怒らせる様な真似はしないで下さい…いらない疲れも溜まるし面倒です」
『………』
「刹那さん?」
突然黙った彼女を見れば俯いている。彼女の長い髪で顔が隠れて表情は伺えないけれど、見たとしても良い表情ではないのは彼女が纏う雰囲気で解る。長い沈黙に思わず溜め息が漏れた。自分でも解る程の重い溜め息。
『私、…帰るね』
風さん疲れてるみたいだし私がいると邪魔でしょ、震える声でそう言った彼女にまた溜め息。
「邪魔だなんて一言も言っていませんが」
『うん…でも今日は帰る』
「…そうですか」
そう答えれば彼女は顔を上げる。母親譲りの大きな瞳に今にも零れ落ちてしまいそうな程の涙を溜めて私が一番好きな顔をしてみせた。
「刹那さん、?」
『…………』
名前を呼んだのにも関わらず彼女は私に背を向けて玄関の扉を開けた。家の中から一歩踏み出した足をためらう様に止めたと思えば彼女の足元にぽたぽたと水滴が落ちる。溜まっていた涙がとうとう零れた、とすぐに理解した。と同時に振り返らずに言った彼女の言葉に私は驚いて引き止める事すらも出来なかった。
ばいばい、風さん
(別れ際はいつも笑顔で"またね"、のはずでしょう?)
「え…、?」
ぱたん、
静かに閉まった扉の音に自分の小さな驚きの声が掻き消された事にも気付かず、開く気配のない扉を見つめたまま彼女の言葉を頭の中で何度も繰り返す。
…何度も何度も繰り返してみても、それは彼女からの私に対する別れの言葉にしか聞こえなかった。
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