風シリーズ
□出会えてよかった
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浮気はダメですよ、刹那さん
暗い、意識の底で聞こえてきたのは、愛しいあの人の声ではなく、跳ね馬の声だった。徐々にはっきりとしていく意識と聴覚、目覚めにぼんやりと見えた二つの影。自らの意思とは関係なく、体が動く。体に繋がれた線が邪魔だった。体に繋がれたものを全て取り払い、扉を開ける。見えた光景は、跳ね馬の腕の中で顔を真っ赤にして固まっている刹那さんだった。人がちょっと寝てる間に刹那さんにちょっかいを出すとは、彼もなかなか隅に置けない。以前の脅しが少しばかり足りなかったようだ。もう一度、その身をもって知ってもらう必要がありそうだ。
「ってェ!」
蹴り落とせば、驚いたように私を見る二人。彼女の頬に手を伸ばせば、大きな目から涙が零れる。それは私の手を伝って私の膝に落ちた。
『おかえりなさい、風さん』
「ただいま、」
感動の再会を果たしたあとだった。腹部に強烈な痛みが走ったのは。この痛みは幾度となく覚えがある。古い記憶では師匠の地獄のしごきで。バカな…こんな、こんないい場面で、
「き、傷が…」
『風さん!な、ナースコール!』
傷が、開くなんて…
『すぐ無茶するんだから』
「すみません…」
開いた傷の処置後、病室で刹那さんに怒られる。けれど、それですら嬉しく思える。
『怒られてるのに笑うなんて、風さん変だよ』
「もう一度、刹那さんに会えましたからね」
そう言って腕を伸ばせば、それが合図かのように彼女は私の首に腕を回す。腕の中にすっぽりと収まる小さな彼女の体。伝わる体温に、生きている、と実感する。同時に、昔のことを思い出した。
「昔、師匠が言ってたんです」
『え、師匠?』
「私にも弟子の時代があったんですよ」
驚いたように言う彼女に、少しだけ昔話がしたくなった。
「師匠は女性でね、芯のある強い人でした。でも凄く怖い人で、ちょっと怠けるとすぐに拳が飛んできたんですよ」
師匠にはごく普通の旦那さんがいた。幼い私には鬼のように恐ろしく見えた師匠も、旦那さんの前では普通の、年相応の女性だった。
「師匠に反抗したこともありました。下世話な話、女性との戯れにうつつを抜かして稽古に身が入らないときもありました」
そんな私を見て、師匠が呆れたように言った言葉がある。
いつかお前にも心の底から大切だと、出会えてよかったと、そう思える女が出来る
そういう女に出会えたとき、例えどれだけ傷つけて泣かせたとしても離してやるなよ
手放して後悔したくないのなら守ってやれ
守ってやりたいなら強くなれ、体も、心もな
「そう言えば、刹那さんは少し師匠に似てます」
『そうなの?』
「怖い所とか、すぐに拳が飛ぶ所とか、」
『もーっ!』
好きな人の前では年相応の女の子の所とか。師匠が初恋の人かと聞かれたら、答えはノー、だ。ただ、私の理想の女性像ではあった。刹那さんも師匠と同じだ。芯のある強さを持ち、優しく、笑顔が可愛らしい。小さな背中には、守りたいものが沢山背負われている。家族、仲間、友人、そしてその中には恋人の私も入っているのだろう。
師匠、貴女の言った通りです。
出会えてよかった
(心の底からそう思える人が、ようやく私にも出来ました)
『私もね、風さんに出会えてよかった』
そう言って私の頬にキスをした彼女を、命がある限り守りたいと思ったのは、私だけの秘密だ。
(風さんが起きたと思ったらこれだよ…)
(10代目、跳ね馬のヤローが死にそうな顔してますけど…)
(風さんも姉さんも清々しいまでにディーノさんのこと忘れてるよね)