Present

□ハピバお返し。あすま様へ
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餌と成り得るものがその場に居たのなら、抗うことなく自らの身を捧げただろう。

どこまでも魅了され惹かれてしまう。堕ちてしまうのだと誰かが言った。糧を求める彼の眼差しは、確かに見るものを狂わせる危うい色香を纏っていたから。

「…参ったな」

艶やかな瞳は、餌を求めて今日も妖しく潤むのだ。
























紅い瞳のチリアット
























投げ出された長い足はソファーからはみ出し、目隠しの代わりに開かれた聖書は顔を覆っている。だらしなく寝転がった男は、睡眠導入剤と化した聖なる書物を滑り落とした。

シナプスの上で無限に交わされる電気信号の中で、彼が思うのはただ一つ。身体も人格も平伏し従う本能という大綱の中、一際身の内を炙る衝動だった。何もかもかなぐり捨て突き動かそうとするそれを押さえ付ける為に、退屈な物思いに努める。

献血しろ。人間共。呼吸する前に。俺様の為に。今、家でテレビを見ている奴も飯を食っている奴も寝てる奴も、パソコン、ケータイ弄ってるそこのお前も今すぐ走って血液センターに行けそして血を抜いてこい俺様の為に…

ばしん、と静寂が破られた。男の額と手の平とが打ち合わされた音、生産的でない、あるいは無意味な方向に展開しかけた思考を阻む為の行為だった。

正直なところ…と、男は一度脱線した思考を修正し始めた。糧を得たいなら外に出さえすればいいのだ。食糧は勝手にたかってくるのだから、こちらは選び放題より取り見取りだ。実際、今までそうしてきた。その生活に何の不満も無かったし、飢えなどしく感じたことは無かったのだ。

しかし今は状況が違う。

男は気怠げな動作で半分だけ身を起こすと、背もたれにかけていない方の腕を腹部に回した。空腹が過ぎて、胃が痛いのだ。もうこの際、見た目も味も良い女ならば誰でもいい。性格が悪かろうと頭が足りなかろうと我慢しよう…男は決心した。

だがそれは、彼女には内緒で事に及べるならばの話だ。

(…まぁ、無理だろうがな)

細く長く、溜め息を吐いた男は、からっぽの胃を宥めるように腹をさすった。

そもそも、あの男がいけない。あの馬鹿みたいな髪の色をした馬鹿が元凶だ。

「あの赤髪…引っこ抜いて箒にしてやる」


唸るようにして誓った言葉は、この数日で数百回は沸き上がった殺意を抑えるためのものだった。一応、奴は彼女の繋がりというか、顔見知り。軽々しく殺すことはできないのだ。忌ま忌ましいことに。

彼の糧より尚紅い瞳に、焦がれるような色を浮かべたその男――メガトロンは、吸血鬼である。ヒトの血液を主食とし、ABO式の中で一番好きなのはB型だ。いつから生きているかもう覚えていないが、ヴラド・ツェペシュのオブジェ作りを手伝ってやったのは、なかなかに興味深い経験だったと記憶している。

(あぁ…腹が減った)

永い時間生きてきたが、こんな理由で飢えたことは無かった。力が出ないのは当然だが、まさに身が細る思いとはこのことだ。実際痩せてしまったことだし。

そして飢餓が影響を及ぼのは、肉体的な面ばかりではない。精神的にも堪えるのだ。日々弱まっていく肉体を、意思を自覚し続けることが徐々に苦痛と成ってゆく。

生半可な事では死なないこの体を疎ましく思ったのは、久方ぶりだった。

何度目になったかわからない呟きを漏らすと、狙いすましたようなタイミングで呼び出し音が静寂を破った。一回、二回、三回。四度目のコールで切れたそれは、擬死を行う動物のように息をふき返した。

『Hello?』

「…Hi」

あぁ。


酸に焼かれる胃の痛みが、僅かに緩和された気がした。

聞きたかった声だ。

「やぁナビ子ちゅわん」

電話口の向こうの笑顔が見えるような声で、彼女がメガトロンの名を呼んだ。メガトロンはそれに応え、次いで尋ねた。努めて優しく、しかし僅かばかり焦りを滲ませた声で。

「医療用血液はまだ届かないのかい?」

切実な問題だった。

『ごめんなさい、最近大きな事故が続いて…追加の目処は、まだ立っていないの』

(Damn)

嗚呼、あの時の補充が間に合っていればこんなことには。

『腹立たしいとは思うけど、テラちゃんだって悪気があったわけじゃないのよ?だから…ね?』

「…わかったよ。ナビ子ちゃんの可愛い顔に免じて……そうだな、半殺しで済ませてやるさ」

『ありがとう、メガちゃん』

その声は慈愛に満ちていたので、もしやこれは良い雰囲気かとメガトロンは口を開いた。

『でもねメガちゃん、生を吸っていいのは月に5人までよ。忘れないでね』

無情なその言葉に、きゅるると腹の虫が抗議する。

「でもナビ子ちゃん、」

『駄目よメガちゃん。女の子ばっかり飲んでいたら、お腹壊して死んじゃうんだから』

「いや、だから俺様は不死であって」

『駄目ったら駄目』

頑として譲る気は無いらしい。この快適な空間を提供するにあたって、彼女は何の条件もつけたことは無かったのに。


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